リッツのアレルギー治病日記 その3

安西律子

父の闘病

余りにも不快なので耳鼻科に行ったら、

即大学病院を紹介されて、そのまま入院になりました。

そこから2年近く、抗がん剤を使い癌と戦っていました。

鼻の奥、脳みその上に出来た癌だったので、取り除くことが不可能だったのです。

 

当時の抗がん剤は、まだまだ開発段階であり、薬が効けばラッキーってな感じだったそうです。

父は藁をもすがる思いで、抗がん剤新薬の被験者になりました。

1年もたたずに、身長180センチ、体重100キロの巨漢は、みるみるやつれていき、

最期は40キロ前後だったとか・・・・・。

 

幼い子供と妻を残したまま死ねない。

母はリッツ兄とリッツを実家に預け、父の看病につきっきりだったそうです。

リッツが生まれたときには、父は既に病院生活だったのですね・・・・。

 

母「最期はね、余りよく覚えてないねん。

お父さんは痩せこけて、目ばっかりがギョロギョロしてね・・・・。

私にナースコールを持たせて、自分の心臓が止まったら、すぐに蘇生させるよう私に言うのよ。

もうね、辛くて辛くて・・・・・。」

 

糖尿病を併発していたため、そこかしこの骨が折れ、

心肺蘇生をするたびに、肋骨にひびが入ったそうです。

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