安西律子

私は小さい時から身体が弱く、母を悩ませていたそうです。
実父は私がまだ赤ん坊のころに病死し、記憶すらありません。
私はその父の体質を受け継いでいました。

女手一つで体の弱い兄と私を育てた母の苦労を、子供を持つ今となってやっと少し理解できた気がします。
そんな母が私を過保護にしてしまったのは普通でしょう。

私は30過ぎになるまで、自分の人生を自分の足で歩くことをしていませんでした。
母の決めた友人、習い事、将来・・・・。
母が喜ぶならば、そう生きるのが一番だと私も思っていました。

相互依存症。
これが私と母の関係でした。
私は私の事を一人で決定する事も行動する事も出来ない人間でした。
しかし人は人の為に生きる等出来ないのです。

私の中に眠る本来の私は、母を慕いながらも反発をするという、矛盾した状態で現れていました。
そんな時に「武学」に出会いました。

レノンリー先生に初めていわれた言葉は、今でも忘れる事が出来ません。
私の「武学」人生はこの一言で始まったと言ってもいいくらいなのですから。

「君の人生の目的は一体何?」
この問いかけに答えられなかった自分に、愕然としたのを覚えています。
私は私の生きる目的すらなく、母の代用品のように生きることに甘んじていた。
その事実を自身で認識してしまったからです。

「私の人生を生きよう! 私の人生を生きたい!」
言われるままに飲んでいた薬を止め、「食」の改善を行い、
何よりも自分の思った事を徐々に口にするようになっていった私を、母を含め周りの人は少し奇異な目で見ました。

しかし、自分の人生を生きる方法を少しでも知ってしまったらば、それを止める事なんてできないのです。
ただ、今までの私は依存の強い性質だったので、そこの改善をするのがとても大変でした。

「武学」でなければ、「主体・自律」の意味を一生が分からなかったでしょう。
そう考えると、私はとても運が良いのかもしれません。
38歳で原因不明の病を発病しました。

それまで心身にため込んでいたものが吹きだし、私の身体を蝕み始めたのです。
ドクターストップがかかり、仕事は一年以上休職をすることになりました。
今までの生き方を振り返り、どのような人生を歩むのかをちゃんと決めなさい。

そのように言われているように感じました。

人生の主体を、かじ取りを、誰かに任せるのはもう嫌だ!
武学體術の練習に取り組み始めると、はじめは故障ばかりしていました。
当然です。
30近くまでジョギングくらいしか運動というものをしたことが無かったのですから。

私の怪我が多いのを見かねたレノンリー先生が、私に一つの練習方法を与えてくださいました。
それが朱雀ベーシックメソッドです。
本来は武学體術を体得するための、体つくりをする基礎トレーニングですが、レノンリー先生が、誰でも体得できるよう、身体に負荷のかからないものとして、新たに開発をして下さったのです。

身体を無理のないように使い、自分の身体を制御する。
この朱雀ベーシックメソッドを行ったおかげで、私は驚くほどに怪我をしなくなり、身体が徐々に自分が思い描いているように動くようになってきたのです。

身体を制御下に置くことは思考を制御下に置くことも=です。
私は全くコミュニケーションが取れない人間でしたが、気が付くとキチンと人と深い話が出来るような人間になっていました。

自分の人生を自分が一番ないがしろにしていたのですね。

相手の問いかけにも的確に答える事が出来、相手が望む問いに対して、ちゃんと思考が出来るようになっていたのです。
これは朱雀ベーシックメソッドの対人稽古のおかげかと今では思っています。

レノンリー先生には、朱雀会を任され、私はそこで朱雀ベーシックメソッドを、自分と同じような悩みを持つ方から、お年寄りの方、子供さんまでお伝えする事が出来ました。
これも今では代え難い経験です。

自然と母との間に会ったワダカマリもなくなり、今ではとても良い関係を築かせて頂いています。

「人生は如何様にでも素晴らしいものに創る事が出来る。」
「人生はどんな苦難や困難に会っても、何度も何度も甦らす事が出来る。」
自分が望みさえすれば。

私は「武学」を学び、この大きな二つの事に気が付くことが出来、実際に実践して今を生きる事が出来ています。
今は結婚もして、子供に恵まれて、温かい家庭を持つ子も出来ました。
仕事は弥勒相研の事務を行ったり、武学オンラインのブログやメールなど、家庭を持ちながらでもできる、「武学」に関わる事が出来ています。
他人任せの人生を生きていたら、絶対に今の様にはなれなかったでしょう。

朱雀は再生の象徴です。
死んでも蘇る燃え盛る命の火を意味しています。

人生は決して楽しいだけではありません。
苦しみ悲しみも多く存在するのです。
しかしそれは、生きている事の本当の喜びを知る大切な布石なのです。

相対創樂。

私達は喜びや楽しみをめいいっぱい経験する為に生まれて来たはずなのですから!

私の人生の目的は、心から喜べる人生の創り方を、世界で一番楽しく伝える事で、皆が楽しく笑ってすごせる世界を創る事です。

私はこの経験を通じて、世界の人達にこの事を伝いたいと思い、もう一度表舞台に立つ決意をしました。

弥勒朱雀会。

たがいに喜びを創りあえる会。
世界中の人が、人生は自分で創れることを知り、私達の経験は生きる喜びを知るために在ると気が付けば、世界は一瞬で素晴らしいものになるのです。

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